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2021年3月8日

ピッツバーグ・サミットが投じた一石 :  第2章  カサンドラのジレンマ

- 市場透明性 -

The Finance risk screen

リフィニティブ・ジャパン株式会社 

事業開発部 部長

鈴木慎之

 

カサンドラはギリシャ神話に登場するトロイの王女であり、悲劇の予言者として知られている。予知能力を持ち合わせるのだが、皮肉にもその能力を周囲の誰も信じない。厳密に言うと、彼女の予言を信じてもらえないという呪いをかけられていたようである。自国トロイの滅亡を予知して注意を喚起するが、誰にも信じてもらえず、予言通りトロイは滅亡してしまう。
「カサンドラのジレンマ」はすなわち、いくら警告しても誰にも分かってもらえないことを意味する。見方を変えてカサンドラが開き直ると、「知っていても言わない」となってしまうと思うのは私だけであろうか?

金融市場の「透明化」は、投資家保護のための市場健全化に大きな意味を持つ。これにより金融商品の市場価格形成が明らかになり、投資家がより安心して金融取引に臨むことができる。市場がより活性化され、流動性も上がることで一層の健全化が実現できる。恐らくこれが金融規制当局が望む市場の姿であろう。

しかし、実際の市場参加者が同じことを望んでいるのかについては、難しい議論になる。常に取引の活性化が高い金融商品に対しては、特に議論が起こることはないだろうが、問題は市場流動性が低い金融商品に関してである。金融規制当局の思惑は、流動性の低い金融商品取引の透明化も含めた市場全体の健全化である。

こうした金融商品の代表格として社債が挙げられる。格付けの高い発行体の社債は流動性も高く、取引価格帯が比較的把握しやすいが、格付けの低い社債になればなるほど流動性が低くなり、取引の実態が把握しにくくなる。取引当事者となった市場参加者は、取引対象の金融商品の流動性が低くなるほど、その取引情報が公になることを好まない。その理由として第一に自分自身の手の内が他人に知られてしまうことの不都合さがある。いくら取引情報が匿名性を保つことができたとしても、明らかになってしまうのである。第二に仮に取引額面がかなり大きなものであった場合、その後の市場価格形成に大きなインパクトを与えてしまうこともあり得る。「市場透明性」の重要性は投資家保護の観点から十分理解できるが、取引当事者の立場として、自らが関わった取引が即時に全ての市場参加者に知れ渡るのは良い気がしない、ということだろう。今回は、各規制管轄地域での市場透明性に対する取り組みの違いについて言及してみたい。

国際金融市場を規制管轄地域として、米国、欧州、そしてアジア地域と分けて見ていきたい。米国での市場透明性に関する議論は1998年ごろから始まっていたと記憶している。2002年にはすでに全米証券業協会(NASD)が取引報告システム(TRACE)を稼働して、NASD会員(現FINRA会員)であるブローカー・ディーラーすべてに投資適格債や非投資適格債等のTRACEへの取引情報報告義務を課した。TRACEは会員からの取引情報を即座に公開する運用により、透明性を図っている。

欧州では、2018年にMiFID II(第2次金融商品市場指令)が施行され、OTC取引の報告制度が始まった。欧州の市場参加者はこの制度の下、取引情報を認定公表機構(Approved Publication Arrangement、以下APA)という認定公表機関に対し行う必要がある。MiFID IIは、APAに報告された取引情報を公開することで欧州の市場透明化を意図している。

一方、アジア諸国では、市場透明性に関する金融規制あるいは監督当局の主導による取引報告義務制度はないため、取引の存在有無を実証することがなかなか難しいのが現状である。各国業界団体組織が自助努力で情報公開に努めているが、高格付けの社債取引のみといった条件付きでの開示にとどまっている。

そこで、バーゼル銀行監督委員会が設定したバーゼル3のFRTB規制を考察する。この規制は、銀行がトレーディング勘定でのリスク資産(Risk Weighted Asset)のエクスポージャーに基づく自己資本算定をする際、内部モデル方式(IMA)での市場リスクの資本賦課額算出方法は、従来のVaR(Value at Risk)方式からES(期待ショートフォール)方式に変更される。また内部モデルは、少なくとも四半期ごとの損益要員分析(PLA)およびバックテスト実施が求められている。この際、内部モデルで利用されるリスクファクタはその流動性品質に適格性が要求される。これが「リスクファクタ適合性テスト(RFET)」と呼ばれるものである。内部モデルでの資本賦課額算定に利用されるリスクファクタが適合性を満たさない場合、より保守的な資本賦課が要求されることが、FRTBの規制要件である。この「適合性」は実在する(取引観測された)価格が一定条件以上確認できるか否かで決定される。したがって内部モデルを使用する銀行は、適合性を裏付けできる取引データをできる限り多く集めたい、ということになる。

適格リスクファクターか否かの判断フロー 筆者作成

この点において、先に言及した「市場透明性」を図る規制や制度を利用して収集されたデータが大きく貢献することになる。この市場透明性の金融規制あるいは監督当局の関与の違いが地域ごとに違うため、内部モデルのリスクファクタ適合性テストに取り組む難しさが地域差を引き起こしている。ここで留意すべきは、市場透明性とFRTB規制は互いに全く独立していることだ。したがって市場透明性はFRTB規制を実施するための必要条件ではない。しかし皮肉ではあるが、米国と欧州の各々の市場透明性制度はFRTB規制のRFETに大いに貢献している。アジア地域での管轄金融規制当局からの取引情報公開が促進されれば、RFETにおける取引データの収集能力に差が出なくなるとともに、金融機関ごとのデータ収集能力の差も軽減されていくだろう。

Refinitiv Trade Discoveryによる社債のRFETテスト結果 2020年12月末時点

上のチャートは規制当局が主導となり市場透明性を図っている米国のFINRA TRACEと欧州のMiFID II APA各機関から収集した取引観測データを基にRefinitiv Trade Discovery SystemにてRFETを実施した結果を示している。欧米で発行された債券については観測された銘柄数も取引数も多く、従って、RFETを実施しやすい環境にある。これに対して、日本で発行された債券の取引観測は、欧米よりも少なく、この状態ではRFETを実施することはなかなか難しい。ここで、日本国内のデポジトリー・サービス等で取引観測状況が公開されれば、右端にある日本の債券のRFET結果が欧米の結果に近づき、十分RFETを実施できる状況になることが期待されると考える。

カサンドラのジレンマから筆者が派生させた「知っていても言わない」が、FRTB RFETの管轄ごとの違いからくる規制対応の障壁にならないような配慮が成されれば、より一層この規制導入がスムーズになり、国際金融機関の自己資本の頑強さが保たれることになると期待している。

免責事項:© Refinitiv 2021 

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