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2021年1月12日

ピッツバーグ・サミットが投じた一石 : 第1章 セイレーンの誘い

Blog  20210112  G20 pittsburgh summit

リフィニティブ・ジャパン株式会社 

事業開発部 部長

鈴木慎之

 

セイレーンはギリシャ神話に登場する海の怪物である。美しい声で船人たちを誘い(いざない)食い殺したという。
私見ではあるが、現代のセイレーンは、金融市場に巣食っている。一昔前であれば、予め条件定義されたアルゴトレーディング、今では機械学習系の自動条件調整型アルゴトレーディングがこれに相当すると思われる。現代のセイレーンたちはあるイベントが発生した際、真っ先に片側のサイドに取引を仕掛け、ボラティリティを増幅させ、他の市場参加者が追随あるいは損切りした時にはゲームを終えている。こうした状況は「フラッシュクラッシュ」として知られている。

最近あまり聞くことがなくなったが、これにはある程度説明できる理由がある。一つは市場透明性に対する意識の高まりと、これを後押しする金融指令が米国のみならず欧州でもMIFID IIとして施行されたことにより、市場で発生したアクションが分析され易くなったことにある。また、より市場感応度重視のストレステストによるポジションマネジメントに重きが置かれるようになり、トレーディング・リミットの一層の厳格化がなされたことで、ある程度アルゴトレーディングに制約がかけられたと考える。これらの施策により、セイレーンたちは、手の内がばれ易くなり、また、動き始めたとしても発生させることができるボラティリティに制約がかかることで、相当程度の市場のクラッシュに対する抑止力が働いていると想像できる。

ここで「ストレステスト」によるポジションマネジメントが抑止力になることについて、今回は言及してみる。これはピッツバーグ・サミットの金融危機を打開するための前文17条にある「我々(G20首脳)は、資本基準を上げ、過度なリスク・テイクへと導く報酬慣行を終了させることを目的とした強力な国際的な報酬基準を実施し、店頭デリバティブ市場を改善し、大規模な世界的金融機関が自らとるリスクへの責任を有するためのより強力な手段を創出するために共に行動することにコミットした。大規模な世界的金融機関のための基準は、当該機関の破たんのコストに見合ったものであるべきである。これらすべての改革について、我々は自分たちのために厳格かつ精密な予定表を策定した」に相当し、これを実装する手段として機能すると思われる。

トレーディング勘定から発生するリスクは、銀行経営者のみならず管轄金融規制当局や中央銀行にとっても常に目にとどめておくべき重要なファクタである。従来よりVaR(バリュー・アット・リスク)によるリスク量の把握は銀行のリスク管理業務の基本的、根幹的な日常業務として行われている。大抵の場合においてVaRによるリスク量計測は「正しく機能している」。「大抵の場合」としたのは、VaRはトレーディング勘定にあるリスク資産ポートフォリオに対し、このポートフォリオの価値変動要因であるリスクファクタ(金利、為替スポット、株価等)を、過去一定期間での観測変動幅に基づいてランダムに動かし、時間経過と共にリスクファクタが辿ったデータポイントのパスからその時点での価値を算定し、最大損失額を想定することを目的としているためだ。VaRによる特定期間での想定最大損失額は、「リスクファクタの辿るパスの範囲が正規分布に従う前提条件のもと」で大抵正しいといえよう。

しかしながら、市場の動き、すなわちリスクファクタの変動は正規分布に忠実に従うのであろうか?その答えは過去の金融危機の下での価格変動が物語っている。
金融危機下では、予想を逸脱した価格の変動が発生した。すなわちリスクファクタの変動が想定範囲を逸脱し、正規分布のテールの端の端に張り付いてしまうのである。こうなるといくら正規分布99%に収まるぐらいのVaRから導き出される想定最大損失といっても、そこにはもはや現実味はない。

Refinitivデータを基に、S&P500の過去20年の変動と金融危機をマッピング 2020年12月10日作成

金融機関のトレーダーにはトレーディング・リミットがリスクアセットごとに設定されている。このトレーディング・リミットは各アセットのVaRによる想定最大損失額と、各トレーダーに割り当てられた資金から算定され、定期的に見直されている。対象アセットのリスクファクタが正規分布の特定の範囲内で変動する前提で設定されたリミットなので、金融危機下では、許可されている最大限のリミットを使ってとったポジションの方向に対し、市場が正規分布の反対側の端まで飛んだ場合、想定最大損失額を超えた損失が発生する。

この局面を打開するため、「バーゼル3」は、トレーディング勘定でのリスク量算定に対し、従来のVaRによる想定最大損失よりも、より市場感応度重視で現実的な手法で想定最大損失を算出し、それに基づいた自己資本を積み直すためFRTB規制として知られている措置を講じた。各国際主要銀行は自行のトレーディング勘定に対し、トレーディング・デスクごとに内部モデルを設定し、危機シナリオに基づいたストレステストから想定最大損失を求め、これらを合算して自行としての想定最大損失額を設定。これから自己資本を算定し直すことを求められている。

金融市場に巣食うセイレーンの誘いを回避する措置としてバーゼル銀行監視委員会(BCBS)はFRTB規制を実施する。2022年施行開始の予定であったが、COVID-19の世界的な感染拡大を受けて、市場流動性の枯渇懸念から、1年先送りされ2023年からの実施に変更された。各管轄金融規制当局、各金融機関、そしてデータベンダーの実務レベルでは、規制要件に対する解釈の難しさ、また実際の導入の難しさ、国ごとの規制を取り巻く環境の違い等様々な困難を一つ一つ乗り越えながら、やっと何をすべきかについての実質的方針が形成されつつある。2023年は世界規模で調和がとれたバーゼル3の集大成と言えるFRTB規制の施行年として、新しい時代の金融リスク管理の幕開けとなってほしいと願っている。

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